愛知県知多市にて心療内科・精神科・児童精神科を診療する「新舞子メンタルクリニック」についてご案内します。

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内観療法体験記

2011.夏
40代 男性

仕事や周囲の環境の変化、長年の疲れの蓄積などを原因とし、身体的にも精神的にも自分自身を壊してしまい、2011年春頃より新舞子メンタルクリニックにてお世話になることになりました。その後、数カ月仕事を休むことになり、そして今こうして職場復帰をするに至りました。

今まで生きてきた中で「内観」に初めて触れたのは、2回目の診察の中で、永田先生からお話を伺ったことが初めてでした。それまでは「内観」を全然知りませんでした。

私は治療のため、薬を飲むことに少し抵抗がありました。そのことを先生に相談したところ、「薬を飲むことで以前の元気であったあなたに回復をしていきます。しかしあなたのように薬に頼るのではなく、自分の力で良くしたいと思われる方には内観をお勧めします。一度やってみませんか。内観をすることによって自分のことがより分かるとともに、色々な自分の持っている「宝物」に出逢うことができ、心が温かくなります。私も「集中内観」を経験して色々な自分の宝物を見つけ、そのことによって家族をはじめ周囲の方々への接し方が変わりました。」と親身になって私にお話くださいました。

しかし最初は半信半疑で話を聞いていました。内観をすることによって何かが変わることが期待できるのか、また宗教的な勧誘でも受けているのではないかと疑いの気持ちばかりでした。先生から説明を受けた後、2階に上がり、内観を担当していらっしゃる高橋さんからも内観の説明を詳しく受け、実際に内観する場所を見させていただいても、疑いの気持ちがあって警戒をし、その日は内観をせずに次回の診察後に体験することの予約をし、帰りました。

内観の説明を受けて感じたことは「してもらったこと」「して返したこと」を思い出すことは理解できても「迷惑をかけたこと」というのはどんなことだろう、内観とは「迷惑をかけたこと」を思い出して反省することが目的なのか、また迷惑をかけたことを思い出して余計に自分を責めたり、辛い思いをするのではないかという不安を感じ、正直、内観をしたくないと思っていました。

色々な不安を抱えたまま、3回目の診察の際、内観を初めて体験しました。そこでは誰もが最初に行う「小学校低学年の時の母に対する自分」を調べました。内観をすることが初めてだったこともありますが、内観がどのようなことなのかがまだ理解できない中、なかなか集中することができなくて、思い出すことができませんでした。そこで自分と母親との間での印象的だったできごとを思い出してみようと思い、小学校1年生時に盲腸で入院したことを思い出しました。その時は、何で入院しなければならないのか、お腹は切られて物凄く痛いし、学校には行けなくて暇でつまらないし、嫌だなと思っていました。しかし、そこで高橋さんからの説明の中で、「母親の立場で自分を見つめてください」との言葉を思い出し、その当時の自分を母になって見つめてみると、その思い出した情景に対して色々な思いが込み上げてくる感覚がありました。「あっ、内観とはこういうことなのかな」と感じた瞬間、母に対して「感謝」の気持ちと少しだけ何とも表現できない温かな気持ちになったことを今でも覚えています。そのことをきっかけに、まだ内観が良いか悪いか分からないけれど内観を信じてやってみようという気持ちになりました。

しばらく内観を続けさせていただいて、母に対する内観を終える頃に「集中内観」に対して興味が湧いてきました。しかし、この時の自分としては、「わらにもすがる想い」の中で現状の自分を抜け出したい、何とか少しでも早く良くなりたい、二度とこのような状態になりたくないという理由から、「集中内観に行けば必ず何かが変わるだろう」という安易な気持ちだけでした。

このような安易な気持ちの中、「集中内観」は7泊8日、朝5時から21時までずっと内観をすることに自分が耐えられるのか、そんなことをして何も得ることができなかったらどうしようなど「集中内観」へ行くべきなのか、行かないべきなのかをすごく悩みました。そのような時、高橋さんに今このような気持ちがあり、集中内観に行くかどうかを悩んでいることを相談しました。

相談に乗っていただいて色々なアドバイスをいただいた中で、一番印象的だったことは、「集中内観に行く時期は、集中内観に行くべき時に自然と導かれますよ」という言葉でした。この言葉を機に、今の自分が置かれている状況を内観の時と同様に何回も問いました。自分の心に問う中で、集中内観へは今導かれているのかなと思いました。なぜ集中内観に今導かれていると思ったのか、それは心にある自分の色々な気持ちを無くし、理由なく「集中内観に行きたい」と自然と込み上げてきたからです。そのため、「わらにもすがる」気持ちも自然と無くなり、集中内観へ行く決心がつきました。

集中内観へ行く決心がついて、永田先生へお伝えし、先生から「集中内観へは僕も行ったけれど、正直、最初は7泊8日、一日中内観をして何か得られるのかなと思いました。しかし内観をして4日目以降、内観が深まり、色々な思いが込み上げてきて、涙することがありました。心が温かくなりました。内観に対して不真面目だった私が内観によって温かくなることができたので、きっとあなたも何かに触れ心が温かくなることができるでしょう。」という励ましと安心の言葉をいただきました。

この時に先生がおっしゃってくれたことは、仕事上の建て前で言っているのではなく、心からおっしゃってくださったと感じることができ、さらに集中内観に行きやすくなったことを今でも覚えています。

その後、北陸内観研修所へ集中内観に行きました。正直なところ、研修所へ行く道中に何度も引き返そうか迷いました。その理由は特に無いのですが、心が正直に迷っていたみたいです。最初は自分の決心の弱さに情けなく思いましたが、そのような自分の背中をこれから一歩一歩押しあげていこうという思いもありました。今までであれば、このような時、自分のことが嫌になってその場から逃げだしてしまうことが多くありましたが、このように自分を客観的に見ることができたことによって一歩前へ進むことができたのも、内観のおかげなのかなと研修所の玄関の前で思いました。

初日、環境の変化もあったせいか全然集中できず内観ができませんでした。初日の夜も全然眠ることができず、2日目を迎え、朝5時から内観を始め、長時間座ることが初めてだったこともあり、足や腰が痛くて内観ができませんでした。しかし夕方頃にふと内観が深まることができ、今の自分を形成した一番印象的な母親の言葉を思い出し、自分の心に嘘をついて嫌だった気持ちと母親の愛情の深さに気づき、母に対して感謝の気持ちが溢れ、心から泣きました。

その後、3日目はまた深まることができず、4日目位からまた内観を少しずつ深めることができました。「嘘と盗み」の内観をした時は、正直、心が痛くなることが多かった以上に心温まることが多く、気がついたら色々な人へ対して申し訳ない気持ちよりも感謝の気持ちが溢れていることもあり、また心から泣きました。

5日目から6日目までは、職場の人へ対しての内観を2度行いました。正直、3ヶ月近く内観をしてきた中で一番辛い内観でした。この内観をするまでは、職場の人たちのことや仕事のことを考えるだけで心が拒否反応を起こしていて、気持ち的に辛く、内観をしたくないと逃げてきました。しかし前日に長島美稚子先生より、「現実問題から逃げていることで辛い気持ちは、いつまでも解決しません。でも無理に向かい合っても辛いだけです。ですから向かい合えることができるように少しずつ進みましょう。最初は、現実問題の近い人間関係の中で良かった人を思い出し、2回目くらいからは悪かった人を思い出してみましょう。」と言われました。

長島先生がおっしゃられた順序で、辛かった職場の人への内観を進めました。最初に職場の中で人間関係の良かった人へ対する内観をすることは、嫌であった職場のことに触れていたのでものすごく辛かったです。しかし、内観を進めていくと、少しずつその気持ちも薄くなり、不思議と人間関係の悪かった人に対する内観をする決心がつきました。辛かったはずの内観の時間は、嫌な気持ちに触れて行く度に「なぜ内観ができなかったのか」という気持ちが湧いてきて、「あの時、私のためにこのような気持ちを伝えようとしてくれていたのか」、「私がもう少し心に余裕があって気づくことができたら、違っていたのに」、「良かれと思っていたことは私自身だけで、実は違っていた」などと反省をするばかりでした。辛かったのは自分だけと思っていたことが逆転し、辛いのは周囲の人たちなのだということが分かり、今まで支えてもらって仕事をさせていただいていたのだという感謝の気持ちが溢れ、そこで初めて職場に戻りたいなという気持ちになりました。その気持ちと同時に「自分は生きているのではなく、支えられて生きている」ということに気づき、改めて家族に対して感謝の気持ちと温かな想いに触れ、涙が溢れました。

7日目には家族に対する内観を再度行いました。家族に触れることができる度に温かな気持ちになり、本当にありがたいばかりでした。その時に永田先生、高橋さんがおっしゃっていた「宝物」というのが分かった気がしました。しかしこの「宝物」がどのようなものなのか、なぜか言葉で表現できないもので、現在でも何と表現したら良いのか分からない不思議な「宝物」です。この「宝物」に気づいた7日目の夜、心が温かくなって「早く家族に会いたい」という気持ちでいっぱいであったこともあって、興奮して眠ることができませんでした。

8日目の朝の座談会で、一緒に内観を過ごした方々に初めてお会いしました。特に言葉を交わすことは無く、その後も連絡をするわけでもない、名前を知らない人へ対して、なぜか皆さんの顔を見た時に、一緒に内観に取り組み、時間を過ごしたこともあってか顔を合わせられることができただけでもありがたいなと思いました。自分でも不思議に思いました。

掃除や最後の朝ご飯を食べながら、研修所を離れる時間が近づくにつれて何故か淋しい気持ちになりました。またその気持ちに矛盾して「早く帰って家族に会いたい」という気持ちも同時にありました。

研修所を発つ際、最初に研修所の玄関に立った時の気持ちと、帰る時に玄関に立った気持ちが全く違うことに自分が恥ずかしくなったりもしました。それよりも研修所で過ごした時間において、長島先生や貫井さんをはじめ、色々な方々への感謝の気持ちと温かな心に触れることができたことの喜びの気持ちで溢れていました。さらに何とも言えない幸せな気持ちにもなりました。現在でも研修所のことを思い出すと、温かな気持ちと幸せな気持ちになります。

帰る道中も家族のことを考えるだけで何度も泣いてしまいました。その時は、きっと家族に会えることの喜びと感謝の気持ちで溢れていたのではないかと思います。今まで生きてきた中で味わったことのない純粋な幸せを感じ、温かい心でした。そして家族に会えた時、家族の一人一人の存在がただありがたいという気持ちが込み上げてきたことを現在も覚えています。

北陸内観研修所から帰ってきて、再び新舞子メンタルクリニックに来た時、最初に思ったことが「懐かしい」という気持ちと「帰ってきた」という実感でした。永田先生、高橋さん、スタッフの皆さんに会って、2階の屏風、畳のにおい、座布団の感触、外の風景を見て、改めて「集中内観から帰ってきた」という自分の家では思わなかったことが自然と思い浮かびました。

このようなことから集中内観でのことは、自分にとっては非現実的なことであったようで、こうしてまた日常内観をさせていただくということで、私を現実に戻してくれたのだと思います。またクリニックの2階で内観をしてきたことが、その時(仕事を休んでいた)の私の現実を、生きていることを感じている大切な場所であったことに気づかされました。私にとっては、家族と同じようにクリニックが心の支えだったと思います。

最後になりますが、内観を通じて、自分自身がどのように変わったのかを説明したいと思うのですが、正直なところ、どのように表現したら適切なのかは分かりません。大変申し訳ありません。

しかし、内観を通じて自然と感じたことは自分の見つけた色々な「宝物」から、心の中が温かくなりました。世の中が明るく見えることができました。楽しい時は楽しい、嬉しい時は嬉しい、悲しい時は悲しい、辛い時は辛いと心に嘘をつかない素直な心を取り戻すことができました。内観を続けながらこれから自分が進みたい未来を歩みたい、また色々と探していきたいと思いました。私自身は内観を通じて、このようなことが心の中に生まれました。

この気持ちを忘れず大切にし、これからも内観を続けて人生を歩んでいきたいと思います。心から、ありがとうございました。

*この体験記につきましては、ご本人の許可をいただいて掲載しております。

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